どうしてだろう。
「彼女」を前にすると、春の足音が聞こえてくるのは──
その季節の優しい風が運ぶ桃色の花びらで象られたかのような、童話にこそ所在を確かめるべき少女。
かの少女の足元に、遠き異国の言葉が浮かび上がれば。
相対する少女の口元に踊るは、此処ではない世界の言葉。
相容れる事なき双つの魔術が、ぶつかり合い────相殺。
──されたのは、実力の伯仲を物語っての事ではない。
それは、この魔人蠢く街において桜の君こそが抜きん出た実力者である事の証左であり。
何より、それこそが絶対者として君臨する頂の余裕というものだ。
「……いったい、其方は何者か」
否。
ならば何故、絶対者たるものの頬にあってはならない冷や汗が流れるのか。
答えは一つ。
彼女をしてその正体を問わずにはいられなかった、相対する黒き少女の児戯の故に。
「アナタ、魔術師……と呼ぶには、あまりにも“雑”ですわね」
そこには研鑽がない。微塵もない。
研鑽どころか、そこに至るものが何もない──覚束ない手付きで先人の真似事から始めた日々も、己の魔術の適性に悩んだ日々も、鍛錬も、研究も、発見も──それらに費やしているはずの膨大な日々も。
まるで遠い昔に置き忘れてきたかのように、その痕跡が一切感じられない。
つまり、「昨日、魔術を習い始めた」に等しい状態。
だから「雑」だと笑った──笑わずにはいられなかった。
何故ならそんな背景が透けて見えるにもかかわらず、桜の君が編む魔術は千の時を数えても尚、到達し得ない深奥を極めていたのだから。
「──信じられないコトですけれど、今、この場で、魔術を構築していますのね」
だからその笑みは、賞賛に他ならなかった。
「素敵な余興に感謝いたしますわ、この街の魔術王。人の身にありながらそれほどの器、是非とも堪能いたしたく──“光を愛さぬ者”などと揶揄されるこの貴でよろしければ、お相手仕りましょう」
その唄。
人の身にありながら、そう奏でた唄。
そこには欺瞞の雫が溶け込んでいる。
桜の君の領域は人ではなく人外に在るのだと、黒き少女はとうに看過していたのだから。
それは人の理から外れし異形への恐怖、あるいは侮蔑からの「人外」ではなく。
恐らくは、この世界における神域に座する「人外」──彼女の紅き瞳が捉えたその心象の名は、“激怒”。
“激怒”と共に産声を上げ。
“激怒”と共に千の戦を駆け抜け。
“激怒”と共に万の血潮で研かれた神器の────そのなれの果て。
ならばこそ、欺瞞の雫を毒と知りながら呑み込んだのだ。
人の尺度で測る事がどれほど馬鹿らしいか──それほどの器でありながら、「ヒト」であることを放棄することなき桜の君の精神(こころ)の気高さを賛美して。
「──Hallelujah(ハレルヤ)──」
その賛美歌で、呑み込んだ毒に新たな毒を混ぜ合わせながら。
被造物でありながら神を名乗った呪わしき反逆者どもに貶められた彼女だからこそ。
そして何より。
──彼女自身が「ヒト」であることを望み、そして成し遂げた存在であればこそ。
「もしも貴を失望させるようであれば、その時は殿下が気紛れに愉しむ玩具の一つとして献上するコトにいたしましょう」
なれど今、その笑みは気品に溢れながらも冷たく歪む。
黒き少女の慇懃にして悪辣な、どこか道化じみたその振舞いを。
──“悪魔”と呼ぶ事に、なんの憚(はばかり)があっただろうか。
まるで華を咲かせる者と華を摘み取る者との対峙。
相反する性質の両者。
なれど、どちらも──「魔女」と呼ばれる異法の操(く)り手。
「──王、と言ったか。魔術王と」
では、魔女であれば。
「それそのものが目的ではなかったとはいえ、到達までの過程においてそこを目指したのは間違いない──ならば、聞き捨てる事はできんな」
魔女の対峙に横槍を入れる事が許されるのは、また魔女だけだ。
「あら、今度はどなたですの?」
黒き魔女の誰何に、闖入者たる第三の魔女が応じる。
「ただの小娘だ。自らを使用人だと言い張る友の前でだけは醜態をさらすわけにはいかない、ただの小娘」
威圧、などという生易しいものではない。臓腑を直接絞り上げるかのような重圧の底に足を踏み入れながら、臆することなきその瞳。
その瞳に宿っていたのは、慢心ではない。
それは、誇りの故に。
「その友人が攫われた──彼の妹と手分けをして捜していたんだが、何か知らないか?」
「そうお尋ねになりながら、まるで貴を犯人と決め付けるかのような口調なのはどういうコトですの?」
「何、聞いた犯人の特徴とオマエとが妙に一致しているものでな」
「ふふっ、それはとんだ言いがかりですケド──しかし何故でしょう。王を望むとおっしゃりながら、アナタはまるで騎士のよう。そう、どなたかの剣──魔剣、とでも申し上げればよろしいのかしら」
「……父と同じ事を言う」
苦笑めいた呟きには、どこか憐憫の響きが混じる。
「なるほど、オマエもまた悪魔……いや、天使か。ふん、どちらでもあるなどと、これはいよいよ悪い冗談だ」
黒き魔女は知るまい。
第三の魔女が、自身に──それがまた異なる世界の法則に連なる者とはいえ、自身に近しい存在をすら唸らせた“七人”の一人であった事を。
さらに黒き魔女は知るまい。
その闘いにおいて、第三の魔女もまた「ヒト」である事の証明を成し遂げた存在であったという事を。
「そこのご令嬢、申し訳ないがここは譲ってもらえないか?」
「媛もまた、引けぬ理由がありますれば」
「そうか、あちらで『蛇』を押さえているオトコのためか──それは失礼をした。互い譲れぬもののためならば、恨みっこはなしだ」
「承知」
そして誰も知るまい。
“今”という時。
“この街”という場所においては。
「ヒト」なる在り方は揺らぎ、溶け出し、握り潰されるように崩れ落ちて。
神ですら想像し得ない領域へと到達しようとしている事を。
「二人の魔術王。よかった、アナタがたなら貴も存分に遊べるというもの──相手が魔女であれば、殿下のご闘争の場を奪うコトにはなりませんものね」
歓喜に震える紅眼が揺曳する中、三種の魔術が入り乱れ──
────世界は今、緩やかに融合を始める。
.....To Be Continued
という
嘘。
六年ぶりに唐突な続きをば。Twitterでのお礼にて。
(前回までの分
一話 二話 三話)
しかしこれもうタイトルに偽りありというか、少なくとも『実と毒と雪と雨と』ではなくなっているような……。
登場人物がどこかの誰かさんたちによく似ているかもしれませんが、きっと気のせいです。ここ大事。
では、またまた今年も方々にごめんなさい。
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